最低賃金は過去最大のペースで上がり続け、賃上げはもう「するかどうか」ではなく「どう続けるか」の局面に入りました。人を雇う中小の不動産会社にとって、給与を上げることは避けられない一方で、その原資の確保は年々重くなっています。ここで見落とされがちなのが、増やした給与の一部を法人税から差し引ける「賃上げ促進税制」です。中小企業向けの制度は控除の割合が手厚く、赤字でも生きる繰り越しまで用意されています。本記事は、ウルスタ代表として中小の不動産会社の実務に関わる立場から、賃上げを「上げっぱなし」で終わらせないための、賃上げ促進税制の使い方と段取りを整理します。
賃上げはもう「待ったなし」——最低賃金の今
まず、賃上げをめぐる足元の状況を確かめます。2025年度の最低賃金は、全国の加重平均で1,121円になりました。前の年から66円、率にして6.3%の引き上げで、これは過去最大の上げ幅です。政府は2026年6月末に、全国平均を1,500円へ引き上げる目標を、2030年代の前半にできる限り早く達成すると正式に掲げました。そして2026年度の引き上げの目安も、いままさに審議の大詰めを迎えています。金額の確定はこれからですが、相当の引き上げが続く流れは、もうほとんど動きません。
この波は、都市部だけの話ではありません。地方の中小の不動産会社ほど、最低賃金に近い時給でパートやアルバイトを雇っている場合が多く、影響を正面から受けます。最低賃金が上がれば、それに張り付いていた人の時給を上げざるを得ず、その上に立つ社員の給与も玉突きで見直しが要ります。賃上げは、もう「するかどうか」を選ぶ段階ではなく、「どう続けるか」を設計する段階に入りました。問題は、その原資をどう確保するかです。ここで効いてくるのが、これから説明する賃上げ促進税制です。
忘れてはならないのは、賃上げが守りだけの話ではないことです。人手不足はどの業種でも深刻で、不動産業も例外ではありません。近隣の他社より時給が見劣りすれば、募集をかけても人は集まらず、いまいる社員も静かに流れていきます。賃上げは、採用と定着のための投資でもあるという見方に立てば、増やした分の一部を税で取り戻せる制度を知っているかどうかは、そのまま経営の体力に響きます。上げるべきときに上げ、しかも取り戻せる分は取り戻す。その両立を可能にするのが、次に見る仕組みです。
【要点】賃上げ促進税制の全体像
細かい要件に入る前に、制度の骨格を一枚で押さえます。要は、給与を増やした中小企業は、その増やした分の一部を法人税から差し引ける、という仕組みです。
| 局面 | 中小の不動産会社にとっての意味 |
|---|---|
| 給与を前年より増やした | 増やした額の一定割合を、納める法人税から直接差し引ける |
| 教育訓練や認定に取り組んだ | 差し引ける割合が上乗せされ、中小は最大45%まで届く |
| 赤字などで引ききれない | 中小なら、引ききれなかった分を5年先まで繰り越せる |
| 制度の期限 | 令和9年3月末までに始まる事業年度が対象。使えるうちに使う |
ポイントは、これが補助金のように申請して受け取るお金ではなく、納める税金そのものを軽くする仕組みだということです。決算のときに要件を満たしていれば、確定申告で控除を受けられます。手続きは決して軽くありませんが、賃上げをどのみち行うのなら、使わない手はありません。以下、順に見ていきます。
そもそも賃上げ促進税制とは何か
賃上げ促進税制は、企業が従業員に払う給与の総額を前の年より増やしたときに、その増やした額の一定割合を、法人税額から差し引ける制度です。個人で営む会社なら、所得税が対象になります。国が、賃上げに踏み切る企業の背中を、税の面から押すために設けているものです。
大切なのは、控除の計算のもとになるのが「増やした額」だという点です。給与の総額そのものではなく、前の年からの増加分に、決められた割合を掛けます。たとえば全体の給与を前の年より100万円増やし、控除の割合が30%なら、30万円を法人税から差し引ける計算です。賃上げの負担を丸ごと肩代わりしてくれるわけではありませんが、増やした分の一部が税として戻ってくると考えると、原資の設計に組み込む価値が見えてきます。なお、2024年の改正で、大企業や中堅企業向けの内容と中小企業向けの内容は分かれており、中小企業向けは特に手厚くなっています。ここからは、中小の不動産会社が使う中小企業向けの制度に絞って説明します。
自社は「中小企業者等」に当たるか
まず確かめるのは、自社がこの中小企業向けの制度を使える立場かどうかです。おおまかに言えば、資本金1億円以下の会社などが中小企業者等に当たります。多くの地域密着の不動産会社は、この枠に収まります。青色申告をしていることが前提で、法人だけでなく、個人で営む不動産会社、つまり個人事業主も対象です。
ただし、外れる場合もあります。大きな会社の子会社にあたるなど、資本のうえで大企業に支配されている場合は、中小企業者等から外れることがあります。自社がどちらに当たるかは、資本の構成や従業員の数で決まり、判断に迷う点も少なくありません。ここは思い込みで進めず、顧問の税理士に一度はっきり確かめてもらうのが確実です。使えるはずの制度を使い損ねるのも、使えない前提で計画してしまうのも、どちらももったいないからです。
あわせて確かめておきたいのが、青色申告であることと、必要な書類をそろえられるかです。控除を受けるには、確定申告の際に、増やした給与や上乗せの根拠を示す明細を添える必要があります。日ごろから給与や教育訓練の費用を、後から取り出せる形で記録しておけば、この準備は驚くほど軽くなります。制度を使えるかどうかは、要件を満たすことと、それを証拠で示せることの、両方で決まります。数字が社内のあちこちに散らばっている会社ほど、まずは記録を一か所に集めるところから始めるのが近道です。
通常の要件——1.5%増で15%、2.5%増で30%
中小企業向けの基本の要件は、とてもはっきりしています。全ての従業員に払った給与の総額が、前の年度より1.5%以上増えていれば、増えた分の15%を法人税から差し引けます。さらに、2.5%以上増えていれば、その割合は30%に上がります。
| 給与総額の前年比 | 税額控除の割合 |
|---|---|
| 1.5%以上の増加 | 増やした額の15% |
| 2.5%以上の増加 | 増やした額の30% |
ここで見る給与総額は、一部の人だけを取り出したものではなく、その年に雇っていた全ての従業員に払った給与の合計で判定します。新しく人を採って、その分だけ総額が増えた場合も、基本的には対象になります。たとえば、前の年度の給与総額が3,000万円で、当年度が3,090万円なら、増加は90万円で率は3%です。2.5%を超えているので割合は30%、控除は90万円の30%で27万円になります。決して小さくない額が、納める税から戻る計算です。役員やその親族への給与など、計算から外れるものもあるため、実際の集計は経理と税理士に確認しながら進めます。
ここで一つ、勘違いしやすい点に触れておきます。中小企業向けの判定では、ずっと在籍している人だけでなく、その年度に給与を払った全ての従業員の合計で見るのが原則です。年の途中で入った人も、辞めた人も含めた総額どうしを、前の年度と比べます。一部の社員の昇給額だけを取り出して判断してしまうと、要件を満たしているのに見送ったり、逆に足りないのに満たしたと早合点したりします。判定はあくまで、給与の総額どうしの比較だと押さえておくと、計画が立てやすくなります。
上乗せで最大45%まで——教育訓練と認定
基本の割合に、さらに上乗せする道が二つあります。うまく重ねれば、中小企業向けの控除の割合は最大で45%まで届きます。
| 上乗せの要件 | 内容 | 上乗せ幅 |
|---|---|---|
| 教育訓練費を増やす | 従業員の研修や教育に使った費用が前年度より5%以上増え、かつ給与総額の0.05%以上ある | プラス10% |
| 子育て・女性活躍の認定を受ける | くるみんやえるぼしといった国の認定を、その年度に受けている | プラス5% |
基本の30%に、教育訓練の10%と認定の5%を足すと、45%になります。研修や資格取得の費用は、多くの不動産会社がもともと払っているものです。宅地建物取引士の資格支援、賃貸管理の実務研修、接客やクレーム対応の講習など、これらを従業員の教育として整理し、前の年より増やせば、上乗せの要件に近づきます。認定の取得は一朝一夕にはいきませんが、人が集まりにくい時代に、働きやすさを外へ示す看板にもなります。控除のためだけに動くのではなく、もともと必要な人への投資を、制度に乗せて回収するという順番で考えると、無理がありません。なお、これらの上乗せの要件は、年度の改正で見直される場合があります。適用しようとする年度の最新の要件を、必ず確かめてください。
使いきれなくても大丈夫——中小の5年繰り越し
賃上げ促進税制には、長らく大きな弱点がありました。控除はあくまで納める法人税から差し引く仕組みなので、赤字で法人税が出ない年は、せっかく賃上げをしても控除を使えなかったのです。人を大事にして給与を上げる会社ほど、利益が薄い年に恩恵を受けられない、という矛盾がありました。
これを埋めるために、2024年の改正で、中小企業だけに5年間の繰り越しが認められました。賃上げをした年に控除を使いきれなくても、その分を最大5年先まで持ち越し、黒字になった年の法人税から差し引けるようになったのです。これは中小企業向けだけの手当てで、大企業にはありません。赤字がちの年でも、将来の黒字を見込んで先に賃上げへ踏み切る、という前向きな判断がしやすくなりました。ただし、繰り越した控除を実際に使う年度は、その年もまた給与総額が前の年を上回っていることが条件になります。賃上げを続ける会社を後押しする、という制度の趣旨が、ここにも表れています。
つまずきやすい落とし穴と注意点
使う価値の大きい制度ですが、思い違いでつまずきやすい点もあります。あらかじめ知っておけば、計画の精度が上がります。
| 注意点 | 内容 |
|---|---|
| 控除には上限がある | 差し引ける額は、その年度の法人税額の20%までが上限。割合を掛けた満額が、いつも引けるわけではない |
| 助成金は差し引いて判定 | 雇用に関する助成金を受けている場合、その分を給与総額から除いて要件を判定する。見かけの増加で早合点しない |
| 何をもって給与とするか | 役員やその親族への給与など、計算に含めないものがある。集計の線引きを誤ると要件の判定がずれる |
| 制度には期限がある | 令和9年3月末までに始まる事業年度が対象。今後の改正で内容が変わる可能性もある |
とりわけ注意したいのが、控除の上限です。法人税額の20%までという枠があるため、賃上げを大きくしても、その年の利益が小さければ、控除を満額は使えないことがあります。ここで先ほどの5年繰り越しが効いてきます。使いきれない分は捨てずに持ち越す、という発想が大切です。また、制度の細かな要件や上乗せの内容は、毎年の税制改正で見直されます。とくに次の年度の改正でどう変わるかは、この記事の時点では固まっていない部分もあります。実際に適用する年度の最新の要件と、自社が使えるかどうかは、必ず顧問の税理士に確認してください。本記事は制度の考え方を伝えるものであり、個別の税務の判断に代わるものではありません。
賃上げの原資を、管理会社はどこから作るか
税制はあくまで、賃上げの負担を後ろから軽くする仕組みです。差し引けるのは増やした額の一部であり、賃上げそのものの原資は、やはり自社で生み出す必要があります。では、中小の不動産会社は、その原資をどこから作るのか。ここは本業の話になります。
一つは、生産性を上げることです。一件あたりにかかる手間を減らせば、同じ人数で、より多くの管理戸数や仲介を回せます。紙とファックスと電話に頼った業務を、記録の残る仕組みに移すだけでも、探す時間と聞き直す時間が大きく減ります。もう一つは、預かる管理料や手数料が、提供している価値に見合っているかを見直すことです。長く据え置いたままの管理料が、増えた人件費に追いついていないなら、根拠を示して見直しの相談をする局面もあります。賃上げを続けるには、税で取り戻すことと、本業で稼ぐ力を上げることの、両輪が要ります。片方だけでは長続きしません。最低賃金の上昇がコストに与える影響と、その守り方については、あわせて読みたい記事で別に整理しています。
生産性の話を、もう少し具体にします。たとえば入居者からの問い合わせ対応です。過去のやりとりが担当者の頭の中や個別のメモに散らばっていると、引き継ぎのたびに事情を一から聞き直すことになります。やりとりが一つの台帳に残っていれば、誰が出ても同じ質で応対でき、その分だけ人の時間が空きます。空いた時間を、より付加価値の高い提案やオーナーとの折衝に振り向ければ、一人あたりの生み出す価値が上がります。賃上げの原資は、こうした日々のムダの削減の積み重ねから生まれます。派手な打ち手ではありませんが、続けられる賃上げは、地道な生産性の底上げの上にしか成り立ちません。
今週からやることリスト
最後に、今週から動ける段取りを、順に並べます。難しい準備は要りません。まず数字を押さえ、専門家に相談するところからです。
| 時期 | やること | 成果物 |
|---|---|---|
| 今週 | 前の年度と当年度の給与総額を並べ、増減と率をざっと出す | 給与総額の前年比メモ |
| 今週 | 研修や資格支援など、教育訓練にあたる費用を拾い出す | 教育訓練費の一覧 |
| 今月 | 顧問の税理士に、自社が中小企業者等に当たるか、適用の見込みを相談する | 適用可否と見込み額の確認 |
| 決算前 | 賃上げの幅と教育訓練費を、控除の要件に届く形で最終調整する | 要件を満たす着地の計画 |
| 継続 | 認定の取得や、繰り越しの活用を、複数年の視点で計画する | 複数年の賃上げと控除の計画 |
この順で動けば、大きな追加コストをかけずに、賃上げ促進税制を使う準備が整います。最も効くのは、給与総額の数字を早く押さえ、税理士に一度相談することです。賃上げは待ったなしですが、上げっぱなしにする必要はありません。使える制度は使い、本業で稼ぐ力を高めて、賃上げを続けられる会社の形を、今週から一歩ずつ作ってください。
よくある質問
Q1. 賃上げ促進税制は、補助金のように申請してお金がもらえるのですか。
いいえ。もらえるお金ではなく、納める法人税を軽くする仕組みです。決算で要件を満たしていれば、確定申告で控除を受けます。お金が振り込まれるのではなく、税額が減る形で効きます。
Q2. パートやアルバイトが多い会社でも使えますか。
使えます。判定のもとになるのは、全ての従業員に払った給与の総額で、雇用の形は問いません。パートやアルバイトの時給を上げて総額が増えれば、それも対象に含まれます。
Q3. 赤字なので、うちには関係ないですよね。
そうとは限りません。中小企業には5年間の繰り越しがあり、赤字で使いきれなかった控除を、将来黒字になった年に使えます。赤字を理由にあきらめず、繰り越しを前提に計画してください。
Q4. 個人でやっている不動産会社でも対象になりますか。
対象です。青色申告をしていれば、個人事業主も所得税で同じ仕組みを使えます。法人だけの制度ではありません。
Q5. 何%戻るか、自分で正確に計算できますか。
大枠はこの記事で示した割合でつかめますが、上限や助成金の扱い、給与の線引きなど細かな判定があります。最終的な控除額は、顧問の税理士と一緒に固めるのが確実です。
まとめ
最低賃金は過去最大のペースで上がり、政府は全国平均1,500円という目標を掲げました。人を雇う中小の不動産会社にとって、賃上げはもう避けて通れません。だからこそ、賃上げを「上げっぱなし」で終わらせず、使える制度で一部を取り戻す発想が要ります。中小企業向けの賃上げ促進税制は、全ての従業員の給与総額を前の年より1.5%増やせば増加額の15%、2.5%増やせば30%、教育訓練や認定の上乗せで最大45%を、法人税から差し引ける仕組みです。
しかも中小企業には、使いきれなかった控除を5年先まで繰り越せる手当てがあり、赤字がちの年でも前向きに賃上げへ踏み切れます。注意したいのは、控除に法人税額の20%という上限があること、助成金や給与の線引きで判定がずれやすいこと、そして令和9年3月末という期限と、今後の改正です。自社が使えるか、いくら戻るかは、顧問の税理士に必ず確認してください。そのうえで、生産性の向上と適正な管理料という本業の力を両輪にすれば、賃上げは続けられます。
今週やることは一つです。前の年度と当年度の給与総額を並べて増減を出し、教育訓練にあたる費用を拾い、税理士に一度相談する。ここから始めれば、賃上げの負担は、少しずつ設計できるものに変わります。備えは、決算を迎える前にしか間に合いません。今日から一歩を踏み出してください。
- 厚生労働省 中央最低賃金審議会。2025年度の地域別最低賃金の全国加重平均は1,121円、前年度から66円の引き上げで過去最大。2026年度の目安は審議中
- 政府 全国平均1,500円への引き上げ目標。2030年代の前半に、できる限り早期の達成を掲げる(2026年6月公表)
- 中小企業庁 中小企業向け賃上げ促進税制。全雇用者の給与総額が前年度比1.5%増で15%、2.5%増で30%を税額控除。教育訓練費と、くるみん・えるぼし認定の上乗せで最大45%
- 国税庁 給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除。控除の上限は法人税額の20%。中小企業者等は控除しきれない額を5年間繰り越せる
- いずれも2026年7月時点の公開情報および自社の不動産実務をもとに整理。適用可否や控除額の判定は個別事情や年度で変わる


